髙山牧場
快適な環境で乳牛の体調管理 高品質でおいしい牛乳を生産
2022.10
栃木県鹿沼市の髙山牧場は、搾乳牛約60頭で年間52万~55万kgの生乳を出荷している。軒高で風通しの良い牛舎で、夏場も涼しく牛にとって快適な環境を維持。安全・安心で品質が高く、おいしい牛乳を安定して生産してきたという自信を基に、一層の飛躍を目指している。
髙山牧場
住所:栃木県鹿沼市酒野谷688
作業従事者:3人
飼養頭数:ホルスタイン種約100頭
創業:1963年
農地面積:飼料用稲約9ha。牧草はイタリアンライグラス約9ha、ソルゴー約5ha
髙山牧場は水田に囲まれ、入り口ではバラやマリーゴールドが咲く花壇が出迎える。飼育頭数はホルスタイン約100頭。搾乳牛約60頭、乾乳牛11頭、育成牛約30頭(預託約10頭)だ。生乳は栃木県酪農業協同組合が集乳し、子会社の栃酪乳業(株)が「とちらく牛乳」「とちおとめいちごミルク」として販売している。
環境改善し、万全の体調管理 粗飼料自給にも注力
牛舎はつなぎ飼い方式で、対尻式。搾乳はパイプライン方式でミルカーを牛のところに持って行き搾乳する。腰をかがめての作業なので体に負担がかかるが、経営者の髙山源喜さん(33)は「1頭1頭に目が行き届き、健康状態をしっかり確認できる。餌の食べ具合もよく分かる。乳房の状態も見ているので、乳房炎の発生はゼロに近い」と話す。
夏の暑さは乳量に影響する。牛舎は軒高で風通しが良く、大型扇風機で風の流れがスムーズ。「背後に大芦川が流れていることもあり、猛暑でも気温は高くならない。細霧冷房もあるが使用することはあまりない」という。
牛舎の通路を濃厚飼料用の自動給餌機が回り、糞尿はバーンクリーナーで堆肥場に運ぶ。堆肥は自作地に散布するほか、希望する農家に提供することもある。粗飼料は自家栽培の稲わら、稲ホールクロップサイレージ、牧草など。濃厚飼料はペレット飼料「まきばミックス」(JA東日本くみあい飼料(株))を与えている。圧ぺんトウモロコシやアルファルファペレット、綿実、重曹などが入っている。源喜さんは「重曹は腹づくりや夏バテ予防が狙い。1日6回給与し、量は乳量によって変えている」と強調する。
1頭あたりの搾乳量は約25kg/日。1日あたり平均生乳出荷量は約1500kg。年間出荷量は52万~55万kgになる。課題は、夏場の乳量低下対策と1頭あたりの搾乳量を現在の2割増の30kgにすること。対策として、重曹入りのペレット飼料で体調を維持し、1頭あたりの搾乳量を増やすことを目指している。源喜さんは「1年のうち10カ月搾乳、乾乳期間2カ月という理想に近づけたい。そうすれば搾乳量や年間出荷量を増やすことができると考えている」と話す。
効率的で牛に快適な牛舎 父の死を機に、兄弟で経営
髙山牧場は、1963年、祖父の輝雄さん(91)が乳牛1頭からスタートした。源喜さんは乳牛に親しんで育ち、小学校の卒業文集には「将来は酪農の仕事をしたい」という夢をつづった。地元の農業高校を卒業後、酪農学園大学の短大に進学。2009年に卒業と同時に20歳で就農し、父の昭太さんと2人で酪農経営に励んだ。休む間もなく働き、18、19年には栃木県酪農青年女性会議の委員長として、栃木県産牛乳の消費拡大や酪農への関心を高めてもらう活動の先頭に立ってきた。
源喜さんが就農した当時、飼養頭数は今と変わらなかったが、木造の牛舎で、給餌、掃除は全て手作業で時間がかかった。そこで、効率的に作業ができ、乳牛に快適な牛舎を作ろうと考え、17年に鉄骨づくりの今の牛舎が完成した。ところが19年12月、父が農作業中の事故で死去した(享年64)。
あまりに突然のことで、源喜さんはこのまま牧場を続けていくべきかどうかという難題に直面した。「歴史ある牧場。つぶしてはならない。立て直さなくてはいけない」と父の思いを受け継いでいくことを決意。
「会社員の弟が朝晩に手伝いに来たおかげで、何とか切り抜けたが、この間の記憶はほとんどない」と弟とともに危機を乗り越えた。
兄の姿を見ていた弟の雄太さん(30)は「自分も牧場をやらなくてはいけない」と、2020年3月、会社を辞め就農した。兄と弟が酪農存続でタッグを組んだ瞬間だ。とはいえ、仕事の内容は源喜さんが教え、技術的な部分は獣医師や栃木県酪農協などが指導した。雄太さんは「朝は早く、仕事の量、幅が広く当初はかなりきつかった。覚えるだけで懸命だった。妻が応援してくれたので酪農の道に進めた」と振り返る。2年経ち「子牛の管理をはじめ、多様な仕事を任されるようになった。搾乳手順を守り、発情をしっかり確認して取り組んでいきたい」と意欲を示す。
「兄弟2人で経営を発展させ、2次・6次産業化にも挑戦したい」
耕畜連携を推進 中高生の職場体験受け入れ
栃木県は北海道に次いで全国第2位の生乳生産量を誇る酪農王国。乳牛の飼養戸数も全国3位の636戸で、まさに「ミルクの国とちぎ」だ。そして、鹿沼市は栃木県酪農協発祥の地。祖父の輝雄さん、父の昭太さんは同農協の理事を務めた。昭太さんは、1996年、第14回全農酪農経営体験発表会で最優秀賞を受賞するなど、髙山牧場は地域の酪農をリードしてきた。
栃木県は麦の作付面積と収穫量も全国第4位を誇る。麦作の振興には土づくり、堆肥の投入が不可欠なため、鹿沼市農業公社を通じて耕畜連携事業に協力している。春に麦を収穫した後に飼料作物を作付け。収穫後、堆肥を入れ畑の地力を維持し、その後に麦を作付ける。源喜さんは「地元で堆肥を供給するシステムができれば、畜産農家はとてもありがたい」と期待している。
また、「酪農理解の醸成につながるなら」と、中学・高校生の職場体験を受け入れている。今年は春に3校、秋に3校の6校を予定している。卒業した生徒が近況を報告しに来てくれることもあり、「農大に進みましたとか、酪農団体に就職したという子もいる。役に立ったなと思うとうれしい」と源喜さんは話す。
家族経営で60年 2次産業化、6次産業化も視野に
髙山牧場は家族経営の牧場として発展し、来年で60年。一線を退いている祖父の輝雄さんは、源喜さん、雄太さんの仕事を温かく見守る。源喜さんの妻の春香さん(33)は酪農学園短大の同級生で、日光市にある日光霧降高原 大笹牧場で乳製品加工を担当している。雄太さんの妻の悠華さん(30)は自営業をしつつ牧場の経理を担当する。母の幸子さんは、畜舎周辺の環境美化の取り組みとして、牧場入り口の花壇の手入れをしている。源喜さんの長男(2)は牛が大好き。トラクターなど働く車も大好きで、早くも後継者の片りんを見せる。
家族一丸で酪農にかかわる髙山牧場。3代目となる源喜さんは「牧場に関することは弟と二人で相談。二人の合意で進めている」と語る。酪農は地域に欠かせない産業であり、観光や消費者との交流、食や仕事、命を学ぶ教育ファームとしても注目を集める。そうした情勢を踏まえ、二人は「生乳を出荷するだけでなく、より発展させていきたい。乳製品加工を取り入れた2次産業化、観光を視野に入れたセルフブランディング、6次産業化もやってみたい」と大きな夢を描いている。
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